日記 (1997年水無月)

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1997年6月1日(日)
ブートできまーす、って誰に言っているんだろ(笑)。

本体も使えないし、クロス環境でもいじくるか。

1997年6月2日(月)
で、sup したらまた盛大に *.mk が変更されてる。しくしく。

この前見つけた PostScript の cm フォントを使ってみる。 pfb2pfa を使って .pfa に変換して(しなくてもいいのかもしれない)、Ghostscript や dvi2ps-j で使う。gs は Fontmap に

	    /CMB10	(cmb10.pfa)	;
	    /CMBSY10	(cmbsy10.pfa)	;
		:

と書いておけば、そういう名前のフォントが使えるようになる。
dvi2ps-j は fontdesc に、

	    font    tfm    * 0	$f/tfm/%f.tfm

と書いておいて tfm が見つかるようにして(手抜きっぽいけど)、

	    builtin cmb10  TSTR	CMB10

のように並べて書いておけば、上のようにした gs もしくはフォントをダウンロード(どうやってやるの?)したプリンタに出力できる。
また、かわりに

	    builtin cmb10  TSTR	<$psfont/cmb10.pfa

のように書いておけば、必要なフォントを付けた PostScript を出力してくれるが、ファイルは大きくなる。

1997年6月3日(火)
0030 Oh! X に行ったら、150001番目だった。おしい。

会計検査につき、マシンを借りて帰らないので、寮が平和(?)だ。

なるほど地図が WWW で見られるのか。でも [ISMAP] 攻撃を受けて敗北。

WWW proxy もダウンしてるし、DNS も変だし…。

これ読んで笑った。

1997年6月4日(水)
kmyacc-3.08 の YYERROR って、yyerror("syntax error") を呼び出すのか。Berkeley の yacc や GNU の bison では呼ばれないので、 そのつもりで YYERROR の前に yyerror(...) を書いているとメッセージが二重になってしまう。 UNIX V7 のマニュアルを読むと YYERRORyyerror を呼ぶ、となっているから、 それ以降に変更されたらしい。

ちなみに、間違えて行ってしまった plan9.com とかいうとこは、微塵も関係のないサイトらしい。

1997年6月5日(木)
gcc って当然 GPL なんだから、ソースが公開されても驚くには及ばないのでは。 バイナリを公開したらソースも(すべての第三者に無料で)公開しないといけないという きびし〜いライセンスなんだし。 どちらかというと、as や ld (lk か)や ar や bind や dis (笑) の方が…… (アセンブリで書いてあったりなんかして…)。

そういえば会計検査って終ったんだろうか。 マシンを借りて帰れないと研究ができん(ほんとか)。

1997年6月6日(金)
Let's Note の 新しい BIOS をもらってきて upgrade する。1.12 が 1.21 になった。 ドキュメントには、終了後 "任意のキー([Fn]キー以外)を押します。" なんて書いてあるので、Shift でもおっけーかなと思ったが効かないので、 Alt や Ctrl や Caps を押して遊ぶ。PgUp とか 無変換 とかも効かない(笑)。

メモリを増やすつもりはないけど(自分のじゃないし)、 起動時にもバッテリ容量が分かるようになったのでちょっと嬉しい。

で、起動して BIOS の設定プログラムを上げるが、「外部キャッシュ」の項が 消えてしまっている。もう一回起動したら出てきた。謎。

TEAC ドライブは Disk At Once に問題があるのか。うちで買ったのは TEAC ドライブだ…。CD-R Maniacs は <table> の嵐で、Lynx で見て悲しい思いをした。「半角カナ」もあるし。

1997年6月7日(土)
久しぶりに寮に Let's Note を借りて帰って……ぐるぐる(おいおい)。

ラーメン屋の軽トラが、寮のあたりまでまわってきた。 かんべんしてくれ。やかましくてしょうがない。

1997年6月8日(日)
日本語 WINE を使ってみようと、コンパイルしたはいいが、走らせると Bad system call で core る。SYSV IPC がいるのかぁ。というわけでカーネルをコンパイル……できない。 タイミング悪く、 NetBSD-current (i386 版)は DMA まわりの統合が中途半端なようだ。 そういえば pkg_* も、Makefile に書いてなくてコンパイルされないな。

恩田さんの日記Content-type: text/x-server-parsed-html を返すようになっているけど、これって Lynx で読むにはどうするんだろ… (一旦 *.html にセーブすれば読めるんだけど)。 あ、text/html に戻ってる。

1997年6月9日(月)
5時。なんかネットワークがすんごく遅い。sup したいのに…。 8時。ようやく sup できた。バージョンが 1.2F になっていた。

さて i386 版をコンパイル……やっぱりできない。ううむ。

Prodrive 105S もとい Empire 1080S すか 箕浦さんの匣にもあったけど、PC につないで根性で回して、 ファームウェアの更新プログラム を使うと寿命が延びることがあるらしいす。 ちなみに、105S は幾度となく手回ししたことが…。

梅雨入りだそうだ。

1997年6月10日(火)
X68030 をセットアップ。 松下の TFT 液晶ディスプレイをちょっと借りてつないでみる。 V を押しながら立ち上げると VGA モードで映るな。おお、美しい。 画面モードを変えていたり、B_CONSOL(-1, -1, -1, -1) かなんかで画面サイズを取得せずに見切っているプログラムは使えないな…。 おっ NetBSD/x68k のコンソールもこのモードに対応しているのか。 ソースを見ると、SRAM を読みに行っているようだ。

で、そのままぴぎゃる(笑)。縦置きにして拡大モードにすると (このモニタは 1024×768)、なかなか迫力があってよろしい。 妙に四角いドット(ドラスピの画面モードは 256×256 (全部は使い切っていないみたいだけど)だから、4×3 ピクセルのカクカク)が見える。 ただ、右目と左目とで見る角度が違うので、明るさや色が違ってつらい。 さらに、画面が垂直同期と関係なく光っているので、左右スクロールさせると がたがたしてしまって非常に見づらい。というわけで、 液晶ディスプレイでゲームするなぁ (もったいない…)というまっとうな結論に…。

NetBSD/i386 のカーネルが、SCSI PCMCIA カードのドライバを入れなければ コンパイルできるようになった。早速この前おあずけを食った 日本語 WINE を試す。基板 CAD ソフトは、表示が出ないことを除けば、動いているようだ (つまり、使えない…)。しくしく。WINMINE.EXE や SOL.EXE はほぼ完璧なんだが…。

1997年6月11日(水)
0030。Alpha の /usr/local の NFS サーバが死んでいる。 それでもにっきを書けるのは、エディタも WWW ブラウザも skkfep も skkserv もホームに持っているから(笑)。 0845 復旧。

15時〜17時。雨で延びに延びていた草とり。今日も途中からちょっと雨が降った…。 狙ったように綿毛をつけている草があって、抜いてんだか種蒔いてんだか(笑)。 こんなのでも業者に頼むと 150万くらいすると聞いた。

日記の HTML がバグっていたのを修正。 ももくんありがとー。

VWX β6 をゲット。

海外仕様リブレットのページの PDF や MS-Word のドキュメントって、 URL(のファイル名部分)に空白が入っている! どうやって get しろというんだぁ。仕方ないので ncftp で取得。

NFS のファイルシステムへ、遅いサイトから ftp get すると、 しばらくしてファイルの一部が数 KB にわたって 00 に化ける。/tmp に get するのは OK なようだ。 これって結構恐いんだけど……。原因は:

  1. OSF/1 3.2 の NFS が悪い(OS のバージョンアップ前はこんなことなかったような…)
  2. 最近導入されたらしいファイルサーバキャッシュとやら(なにそれ?)が悪い
  3. ゆっくりした書き込みではファイルサーバがしびれを切らす
  4. 実は ftp の時点で化けている(それはそれでこわい)
  5. 単なる私の思い違い(でも 3回連続で化けたんだけど)
のうちどれ?
1997年6月12日(木)
0437 思わずホームディレクトリで rm *。zsh に助けられる。 疲れてるのかなぁ。ま、ホーム直下には大したファイルは無いんだが。

あまりぐるぐるせずに(?)まじめにコーディング。

省際ネットからこの日記にアクセスが。もしかして3人目の読者?

1997年6月13日(金)
"SLIME" でいいんですか? 「緑3つ黒2つ」「プレス!」などが頭をよぎる(汗)。

研究会。論理回路 CAD システム PARTHENON で使われている名前って、ひどいこじつけのがあって楽しい。PARTHENON が何の略かは以前聞いたけど、SECONDS もそうだったのか。

恩田さんの日記が読めない。httpd: bad group name www って? あ、直ってる。

Netscape も危険なんだってさ。全バージョンって書いてあるけど、Unix 版も含まれるのか?

1997年6月14日(土)
NetBSD を sup したら、1.2G になっていた。

Netscape って 脅迫されているのか。

なんとなく 68030 の MMU を調べてみる。ううむ、よく分からん。

1997年6月15日(日)
MMU をいじってみようと X68030 の Human68k を立ち上げる。 …が、構造体の定義の半ばで尽き果てる。

Human 用の nm が欲しいなぁ、書こうかなぁ (怪しいのは持っているけど)、と思っていたら あった

ふむ、DOS __FILES は stat() のかわりになるのか。リンク先とか、 subst 元がわかるのか。なるほど。 . と .. が調べられない(-2 を返す)のは仕様か?

1997年6月16日(月)
アクセスログを漁る。 私のページへは、4週間で 1612、うち goo.ne.jp のロボットが 712。おいおい。 他のロボットを加えると、 全アクセスの過半数のもよう。なんて無駄なんだ。

早起きしたら、雑用が降ってきた。

1997年6月17日(火)
論理回路 CAD 設備基板作成装置 で作成するスルーホールの材質って、はんだが乗らんのか。 ランドをペーストで埋めてしまわずに、まわりに銅箔部分が残るように ペーストの塗布量を調整しておかないと、部品のはんだ付けが できなくなってしまうようだ。 でないと、後からランドのまわりを削るという不毛な作業が……。

備品の Let's Note の電池ケースのふたをテープで貼ってやった。 あまりにもすぐ外れるので…。

1997年6月18日(水)
待ち行列理論によれば(詳しいことは知らんが)、 サーバが半分になると混雑は倍どころではすまないのでは?

VWX β7 をもらってくる。お、バスエラーが出なくなってる。 ももくんのとこが文字化けするのは ESC $ @ だから?

BinHex をデコードするツールには mcvert というのがあるのか。 リソースフォークは dd で削ってしまった…。

1997年6月19日(木)
M68000 の divu.w の結果の商と余りのどちらがどちらかを間違うという ボケたことをした。ちなみに、商が下位、余りが上位ワードに入るのが正解。商が 32bit でほしいときは、十分小さいことがわかっていれば、ext.l でおっけーだ。

ついでに IOCS のコール番号に16進数の $ を付け忘れて、謎な IOCS コールを発行してしまった。

暑い。台風接近で昼過ぎから曇り。夕方から雨。

1997年6月20日(金)
台風7号接近により、本日休講だそうだ。講義受けないから関係ないや。 研究会は予定通り。

ひたすら状態遷移(謎)。

現実逃避で 68030 の MMU の続き。 テーブルのアドレスの下位の方には、論理アドレスのビットパタンの一部が そのまま(足し算でなくて)使われるようだ。そうすると、テーブルは alignment を気にする必要があるのか。Human68k はロードアドレスが 16byte alignment だから、ちょっと面倒だな。

1997年6月21日(土)
"*.r" の実行形式って、実行時に Human68k が bss セクションをクリアしてくれないのか。 そりゃそうだ、そんな情報どこにも書いてない。

Human の gcc-1.29 Tool#2 で、-fall-bsr を付けても ___mulsi3 を (pc) なしで lea してくれたので .r にできなかった(これは日本語か?)。 決め打ちでテンプレートが書いてあるのか?

台風一過、日が照って暑い。梅雨はどうした。

1997年6月22日(日)
一転して梅雨空。蒸し暑い。

ちゃっくん と読んでしまった。

状態遷移の続き。VHDL は % でブロックの対応が取れないからやだ。

逃避行動。ふむふむ、^C はベクタ 0xFFF1 を奪えばいいのか。 (一度 0xFF01 と間違えたのは内緒。) このベクタは戻す必要はないようだ。 ユーザモードでやってくるので、適当に longjmp でもしてやればおっけー。 終了処理の続きをやらせるには rts すればいいみたいだけど、 レジスタを保存しておく必要はあるのかなぁ。

1997年6月23日(月)
げっ、オープンハウス。内部の人間にはアナウンスないんだけど、何時から(汗)? あ、研究科のページ にあった。11時から16時半、だそうだ。 NAIST 見学会でなくて、情報科学研究科の見学会だったのか。

hrm というのを見つけた。おーすげー、全部アセンブリで書いてある。 いやそうではなくて別の物を探していたんだが…。

状態遷移。あとちょっと?

1997年6月24日(火)
がーん。Human68k の .r の実行形式では、起動時の a1 レジスタの値は データセクションの終わりの値だっ。 .x は bss, stack セクションも入れて本当の終わりなのに。 ということは、bss や stack があるときは、この値を使って DOS __SETBLOCK するのは間違い。そりゃそうだ、bss + stack の大きさなんかどこにも書いてない (この前も同じようなこと書いたな)。 ついでに、SETBLOCK の成功を見届けずに bss/stack セクションを使うのも危険だな。

オープンハウスだが、状態遷移が終わらないし、誰も来ないみたいなので研究室。 それでもちょっと行く。4階の部屋はそこそこ入りがあって説明などもしたが、2階の CAD 実験室は、手前に壁(笑)ができていることもあって、5人しか来ていないらしい (1430現在)。ま、余裕があるのはいいことだ。 17時。最終的には、どちらの部屋も2桁人は来たようだ(10〜20ってとこ?)。

20時。状態遷移終了か? ようやくコンパイルできるようになった。 std_logic は '1' のようにシングルクォートで、std_logic_vector は ダブルクォートの二進数か。ところが X"16進数" は integer だ。

1997年6月25日(水)
OSF/1 3.0 の learn をやったろうと思ったら、ない。マニュアルはあるのに。rcs と同じかい。一体どういうインストールをしたんだ >センター

()。プリンタのような名前の某並列計算機も使ってあげないと…。

同じく……。

1997年6月26日(木)
早く論文直さないと…。 査読者Iからは照会事項が4つ、査読者IIIからは15個も来ている。 しかも first author がいないからよう分からんし。 ちなみに、査読者IIには落とされている。
1997年6月27日(金)
暑い。梅雨といって、どれだけも雨降ってないような…。台風来るけど。

キャッシュタグメモリって、コヒーレンシ問題とは関係無いと思うんですけど >査読者IIIさん。

1997年6月28日(土)
台風8号接近により、早朝から断続的に雨。 19時。おお、盛大に降ってる。 20時すぎ。やんだかな?
1997年6月29日(日)
おお、とらまったんかいな。 箕浦さんの匣で初めて知ったなんてのは内緒なんだってば。最近泊まり続きだし。

メイルサーバが落ちてる。

ひたすら論文修正、状態遷移、現実逃避(おい)。

rm: internal synchronization error: って何? ちなみに、SunOS 4.1.3_U1 の rm だ。何してたかというと、tar で展開しながら、不要な部分を rm -r していたのだ。

1997年6月30日(月)
論文修正。そろそろタイムリミットか?

0810。食糧も尽きたので、寮に帰って補給。

1125。メイルサーバが復活したようだ。

ファイルサーバが不安定なので(いつものことだが)、ノート PC 上に移行。 間に合うんかいなぁ〜。

日記の表紙前月(皐月)翌月(文月)
ITOH Yasufumi